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南新助さんはこんな人
日本旅行創業者の南新助は高野山参詣並びに伊勢神宮参拝を列車による団体旅行で実施して、列車の中で旅の見どころをガリ版刷りで配ったり、暑いときに西瓜、カチ割り、寒いときは粕汁を出したり、旅の道中も含めすべて楽しんでもらうように配慮しました。
創業当時からお客の楽しみ第一でした。そして、1926年5月鉄道省の後援受けて、神戸発貸し切り陣り列車で13日間の北海道視察団を催行したのです。
そしてエピソードには一般の家庭に質素な食事が当然の当時、宿の朝食に5,6品の料理が各自のお膳につくの見て、まるで婚礼のお膳見たいとお客もご満悦みたいでした。
1949年に本社を構える
1926年5月鉄道省の後援を受けて、神戸発貸し切り臨時列車で13日間の北海道視察団を催行して、当時福島で一泊、青森から函館の連絡船の船中泊と2日かけ北海道入りしました。そして、1949年に株式会社日本旅行会として大阪に本社を構えます。
神戸案内所を三宮駅構内に開設して、海外展開へ。ハワイオフィス設置します。そして社名を株式会社日本旅行に1968年に変更して、海外パッケージツアー、ブライダルツアー発表します。そして、1969年にヨーロッパチャーター機を2か月間で10機飛ばします。
日本旅行ってどんな会社?
今や日本旅行は販売額4297億円を手掛ける業界トップクラスの大手力会社に成長して、日本の旅行会社は業界全体の94%を従業員20名以下の中小企業が占めていて、残り6%が大手・準大手企業といった稀有な業界構造となります。大手旅行会社の多くは事業部別に分社化したりするケースが増えていて、ここは業界でも数すくないすべて自社で手掛ける総合旅行会社としてその地位を確立しています。
人数、エリア、販路にこだわらないで、いろんな旅行ニーズにこたえられるからこそ、教育旅行、地方創生など需要の拡大見込める分野にフォーカスができます。社員にとっては総合旅行会社であるのがオールラウンドな活躍の場につながっていて、ここは担当者が仕入れだけといった業務領域を区分してなくて、誰もが企画提案から、販売まで一貫してプランニング、プロデュースができます。
会社として社員一人づつ持ち味を発揮して、いろんな最高の瞬間を生み出せるのです。そして、創業115周年を迎えて、旅行業界として、転換期になったのはここ最近のネットの普及であり、これによってビジネスモデルが大きく変わりました。以前鉄道など交通機関のチケット、宿泊施設をパッケージにした緑商品を店頭販売が主流でした。