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山本梁介さんの人生
スーパーホテル創業者の山本梁介は1942年大阪府生まれで、1964年3月慶応義塾大阿学経済学部卒業し、繊維・化学品の専門商社に勤務後、不動産事業に従事します。
シングルマンション経営からスタート
シングルマンション管理などを手掛けて、1989年12月スーパーホテル設立し、会長に就任しました。そして、1995年5月株式会社スーパーコート設立して、会長に就任しました。そして、1970年に大阪でシングルマンションの経営開始して、最盛期に約6千室を保有しており、全国展開を狙い東京、福岡に支店を設置して、経費がかさむことに。
1996年にスーパーホテル第一号店オープン
徹底的に現場入り込んだ運営管理が難しくなり、その一方バブル景気の華やかなりしころ、熊本県水俣市と岡山県倉敷市でホテルリンクスという名のビジネスホテル稼働させてました。ホテル奈良支店はいらず、現場に入り込み徹底管理ができると見込みます。そして、シングルマンション事業はコーコストでハイクオリティの居住空間を提供することが大事で、会社規模にしては身の丈合わない大きなit投資などをして、運営管理の効率化に成功します。そして、1996年にスーパーホテル第一号店のスーパーホテル博多を福岡市に開業するのです。当初の宿泊料は4980円という価格設定で、対象とするお客さんを絞ることにより、絞った内容は他社の追随を許さない姿勢でやってました。
スーパーホテルはこんな会社
手ごろさが強み
かつてスーパーホテルは低価格でユーザーから選ばれるホテルであり、1泊4980円の手ごろさが強みでした。一方今のスーパーホテルは価格以外にサービスの質の高さ、エコファーストの意識など掲げてる企業であり、スーパーホテルは過去の強みと今の強みの間にずれが生じてる状況です。
過去と未来をつなぐ仕事
自分たちの強みは何か、改めて見直す時期に差し掛かっていて、そこで立ち上がったのはブランディングのプロジェクトです。スーパーホテルが気づいたもののうち何をこれからも守って何を変えるべきか。過去と未来をつなぐ仕事です。経営層、ホテル現場社員、本部社員、過去のユ-ザー、あらゆる人に話を聞き続けました。
itを活用して生まれた時間をお客へ還元する企業としての戦略があり、そこから見えたのはnatural organic smartです。新たなコンセプトをもとにして、ロゴマークも変更してお客を元気にするというかんがえから、ビタミンカラーの黄色は継続します。
若手の意見を尊重しようと若手社員エハンケーと取りながら決定をしました。そして、ブランディングはゼロから何か生み出すことではなくて、すでに自分たちの中にあるものを改めて掘り起こして見つめなおし整理して取捨選択します。